こんにちは!ミナトです。

最近は、重箱の隅をつつくかのように人を批判したり、多数派の”価値観”や、強い人の”意見”が絶対的なものであると押し付けたり、必要以上に叩いて排除するような世知辛いニュースをよく目にするようになりました。

また有給消化率の低さ、若者の自殺が世界でもトップクラス、うつ病に疾患している人はの推定300万人以上というデータからも、この国が今、かなりの異常事態であるということが分かります。

そして未だに変わることがない「周りに合わせることが正しい。長いものに巻かれろ」という多様性をかたくなに認めない、古臭い価値観がまん延する息苦しい世の中。

実際、私も小さい頃から周りと合わせることが正しいという風潮には

「人付き合いが超面倒くさいし、陰険な社会だな・・・」

と思う場面は多かったです。実際に友達も片手で数えるくらいしかいませんでしたし・・・^^;。

また、「それじゃ海外で暮せば?」と言われそうですが、他国の方と接する機会があると、しがらみがなく初対面でもフラットに接してくれるのがとても心地よく思え、お互いが精神的に自立している関係は憧れでした。

他の国が抱えている問題はそれぞれあるかと思いますが、では日本はなぜ、異常なまでの同調圧力がなくならないのでしょうか。

その背景と、具体的な解決策はあるのか、詳しく考察してみました。

日本人の異常な同調圧力は生きづらさの原因に?

同調圧力とは、

集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。

goo国語辞書より

という意味があります。学校や職場、所属しているコミュニティなど、集団になる場面では必ずと言っていいほど出くわすやつです。

私も以前勤めていた職場で「うちは仕事が終わらなかったからと、時間外に仕事しても残業代は出ませんよ。実際それで皆納得して仕事してるし^^。」と、本気でこのように言われたことがあります(笑)。

その時、「あれ?日本には労働基準法っていう法律あったような・・・?」と頭が真っ白なり、危うく洗脳されるところでした。(辞める時に残業代はしっかり請求しましたよ^^;)

法律<同調圧力

このように法律や人権ですら、軽々と飛び越えて勝ってしまうのが同調圧力です。その時、「この状況を異常と思わない人たちが異常だよな・・・」と、組織の怖さを目の当たりにしました。

相手の価値観が認められない日本人

よく議論などでも「あなたはどう思う?」と聞かれますが、日本では質問者が答えてほしいだろうなという解答をしないと、向こうが不機嫌になるのもやっかいです。

まるであらかじめ答えが一択しかなくて、望んでいる回答を答えないと不正解になってしまうかのように。(苦笑)

その上、まっとうな議論という議論が対等に出来ないのも特徴です。

議論は本来、色んな可能性やアイディアを出し合って、最善の結果を導くためにするもの(だと思うの)ですが、日本では自分の価値観がいかに正しいかを押し付け合うだけで、相手の価値観は認めないことが前提です。

そして、まず議論よりも結論ありきで、少数派の意見や異なる価値観を、寄ってたかって潰しにかかります。

そして本当に議論しなくちゃいけない話題を置き去りにし、相手の意見がいかに間違っているかという、その人にとって”正義の価値観”の押し付け合いを始め、相手がぐうの音が出なくなるまで論破しようとします。

ネットの掲示板に、匿名の人たちが痛烈に自分の正義の価値観をかざし、世論の流れを作っているのも、日本独特だそう。

日本人は本来、温厚で「和」を重んじる優しい民族、というイメージですが、近年は特には妙な方向に逸れて、「多数派の意見が絶対正しい」「多様な価値観は認めない」というような同調圧力でコントロールされ、個人の自由意志が打ち消され、まるで国全体がマインドコントロールをしている宗教団体のような状態です。

人は一人では生きていけないから、集団で規律を守りながら生きていくことが良いこと。

これは分かります。しかし、その集団の「和」を乱そうとする人は彼らからしたら「悪」の存在で、その集団が「善」としている価値観に従えない人は排除する。

といった一方向的な価値観の押し付けは、差別的で、思想の暴力のようにも思えます。

そして、このような社会では、少数派の人たちは、生きづらくもなります。また、自殺や孤独な人が増える原因になっています。

教育によって潜在的に同調圧力が養われる

私が物心ついてから同調圧力を顕著に感じるようになったのは、小学校のころからの「体育」かもしれません。

体力も無く、運動オンチだった私は、課題が出来ないと先生から怒られ、何度もやり直しさせられたり、クラスメイトから冷やかしをされたりと「無理しても出来るようになれ」という同調圧力に本気で悩むことが多くなりました。

クラスでは意気投合する人たちがグループに別れ、輪に入れなかった人がいじめに合うのも普通にありました。時にはそれが原因で命を断ってしまう人も未だに沢山います。

また今の若者も、極度に集団の和から外れてしまうことを恐れ、友達との関係作りに必死になり、精神を病んでしまう人も多いそうです。

「いじめ」は人間の本能として備わっているものだから、なくならないのはしょうがないという、いじめられている人を切り捨てるような価値観も異様に映ります。

ですが、そんな考えがおかしいと言うと「いや、お前がおかしい!」と問題の本質を議論する間もなく、意見を潰されるのも日本ならでは。

いじめが無くならないことは分かった。では、なぜもっと積極的に改善策を講じないのか?いじめがなくならないことをあれこれ議論するより、そっちの方がよっぽど大事でしょ!と思います。

結局のところ、いじめがなくならないのは仕方ない、とあれこれ理由を付けて、世の中の仕組みを変えるのが嫌なだけで、現状を維持したいだけでは・・・?

“当たり前”って実は恐ろしい言葉

社会に出ると、同調圧力でのコントロールはますます加速していきます。

私の知り合いも、残業が当たり前の職場で、思い切って早く切り上げて帰ったら、次の日から職場の態度が一気に冷たくなったという話も聞きました。

  • 残業→仕事が終わらなかったらやるのが当たり前
  • 有給→取れなくて当たり前
  • 飲み会→参加するのが当たり前
  • 自然災害→這ってでも会社に来て仕事するのが当たり前
  • 上司からの無茶振り→断る選択肢はなくて当たり前

こういったことが普通になっている社会って、恐ろしいです。

残業が当たり前、有給取れないのは当たり前といったガチガチに固められた「自分もそうなんだから、君たちも同じで当たり前」的な、足の引っ張りあいは不毛ですし、不幸しか生みません。

私は以前、外国に支社がある会社に勤務していたことがあるのですが、現地の人たちは自由奔放で仕事が第一と思っている人はおらず、気に入らないことはやらないし、自分の意見はハッキリ言い、嫌だったらすぐに辞めるといった、日本では考えられない気質の方が多かったです。

雇う側からしたら、そんな労働者ばかりでは手に負えないので苦労が多くなるのは分かります。

でも、「周りの人に合わせて、人に迷惑かけないように生きなきゃ!」という考え方がスタンダードの日本人の私からすると、逆にしっかり「自分」の軸を持って、堂々と自分の意志で行動している所、そして、それで社会が成り立っている所も凄いと思いました。

人に合わせて自分を押し殺して、精神を病みながら生きるくらいなら、生き方の軸を持ち、自分らしく生きていった方が断然幸せなれると思います。

 

パワーで人をコントロールするのは時代遅れ

「正論」や「力ずく」で人を動かそうとしても、成果が上がらないどころか、相手を萎縮させて「恐怖心」や「憎悪」の感情を引き出すだけで、いい結果は生まれてきません。

D・カーネギーの名著『人を動かす』にも紹介されていた北風と太陽の話は有名ですよね。

北風がコートを着た老人を太陽より先に取ってみせると、勢いよく北風を吹き付けるも、よりガチガチにコートを離さなくなってしまう。しかし、太陽が優しく微笑むと老人は汗を拭ってコートを脱いでしまうという話です。

これは

優しい親切なやり方は、どんな場合でも、激しい力ずくのやり方より、はるかに効果があるものだ

ということが大切だいうことを伝えています。

また、リンカーンの名言、

心のこもった、

押しつけがましくない

説得の手を用いるよう心がけることだ。

『バケツ一杯の苦汁よりも

一滴の蜂蜜を用いたほうが多くの蝿がとれる』

ということわざは、

いつの世にも正しい。

人間についても同じことがいえる。

-エイブラハム・リンカーン

こちらは、親切心や情けは、あらゆる怒声よりも、人の心を変えることが出来るという真理を突いた名言です。

このように、相手に何か行動してもらいたいと思ったら、パワーで支配するのではなく、親切に説得すればいいだけの話です。

そして、相手の意見も尊重しながら、お互いの最善の解決策を模索していく方が、はるかに建設的ではないでしょうか。

”正しさ”を求めるあまり”心の豊かさ”がなくなってる?

壊れたハート

また、リンカーンは、

私は厳格な公正よりも

情けの方がより豊かな果実を実らせると

いつも感じている

という名言も残しています。

「悪は絶対ゆるさない」という正義の仮面をかぶると、人は時に鬼よりも残酷になることがあります。

「情けは人の為ならず」という言葉の意味は、

「情けをかけて人に親切をすることは、その人の為にならない」

という間違った解釈で多くの人が認識していると、一時文化庁が発表して話題になりました。しかし本来は、

「人に情けをかけて親切をすると、最終的には自分にも良いことが巡ってくる」

という、情けをかけることは自分にも周りにもいい影響があるよ、意味です。

最近の日本では、”情け“という言葉すら聞かなくなったような気がします。

そして、厳格な規律と悪を裁くという殺伐とした社会によって、心の豊かさはどんどん失われて、非常に冷淡な社会になっているように思います。

本当にこの日本に今必要なのは、絶対的な正義よりも、”情け””心のあたたかさ”なのではないでしょうか。

同調圧力をなくしていくには、精神的な自立が重要

具体的にどのようにこの同調圧力をなくしていけば良いのか、またなぜ人はここまで人に合わせようとしているのか、理由を考えてみました。

同調圧力は人を容易にコントロールすることが出来るため、都合よく人を動かしたいという管理者側の利権、また教育や、政治などの問題もあるかと思います。

さらに、日本社会は地震大国で資源を持たないので不安要素が多く、集団で一丸となって乗り越えていかないと成り立たないと、多くの国民が思わされている点もあるかもしれません。

困った時に、一人きりでは誰も助けてくれないかもしれないという悲観的な将来のビジョン。また集団に属していれば安心といった安心感などなど。

  • 依存心
  • 不安
  • 恐れ

といった、人の心の弱い部分が、集団でいることを維持するための防衛本能のような形で、同調圧力として現れているような気もします。

これには、過剰に集団を守ることを意識するあまり、多くの孤独を生み出し、人の心を傷つけていることに気づいて、一人ひとりが精神的に自立していくことが重要かと思います。

また、ネットやテレビでちょっとした過ちを犯している人たちに目くじらを立てて躍起になるよりも、自分の周りにいる人に優しくしたり、何か出来ることはないかということを考えてみるだけでも世界は変わっていくかもしれません。

自分たちを守るために異論を排除するのではなく、より過ごしやすい世界を作るために、お互いが協力して幸せになれる道を模索していく社会になっていけばいいのに、と切に思います。